コラム

組織よりも個人が重視される社会へ -イノベーションへの貢献期待高まる日本のベンチャー


秦 信行

國學院大学
教授

研究者

2013/05/28 08:05



はじめに

ベンチャーと言われる中小企業の分野を30年以上見てきた。そうした経験以外にさしたる誇れるものもない筆者であるが、その経験を生かして、日本でのベンチャーの世界の歴史を簡単に整理しながら、これからのベンチャー・コミュニティを展望してみたい。

 

日本でのベンチャー紹介は1970年頃

日本でベンチャーという企業の存在、あるいはそうした企業に資金提供するベンチャーキャピタル(VC)という機関が知られるようになったのは1970年前後のことであった。当時、国民金融公庫調査課長であった清成忠男氏、専修大学教授中村秀一郎氏、日本長期信用銀行調査役平尾光司氏の3名で書かれた『ベンチャー・ビジネス‐頭脳を売る小さな大企業‐』が日本経済新聞社から出版されたのは1971年のことである。

そして京都経済同友会のメンバー会社が共同出資によって日本初のVC会社といわれる京都エンタープライズディベロップメント(KED)を設立したのが1972年。実は京都経済同友会は、KED設立前年の1971年に米国ボストンにベンチャー視察団を送り込んでおり、その報告書は、『ベンチャー・ビジネスと企業家精神‐ボストン・ベンチャー・ビジネス視察報告』として1972年に刊行されている。

このように日本にベンチャー企業やベンチャーキャピタルが紹介されたのが1970年頃のことであったが、それはベンチャー先進国米国の動向紹介が中心であった。とはいえ、先の『ベンチャー・ビジネス』の中で取り上げられているように、当時日本にも、数は限られるが米国と同様、ベンチャーと呼べる企業が生まれていたことは事実といってよかろう。ただ、日本で生まれ始めたベンチャー企業や1972年に誕生したVCは、その後の日本の経営環境、経営構造、日本の戦後特有の経営風土や考え方などの影響を受けて、米国とはかなり異なった発展過程を辿ることになった。

一般的には日本では、上記した1970年代の前半、1980年代前半、そして1990年代半ばの都合3回、ベンチャー・ブームと呼ばれる時期があり、一時的にベンチャーキャピタルの投資額が拡大し、ベンチャーの輩出も増加したといわれている。

確かにその時期、ユニークな事業を展開し成長性の高さが評価された未公開企業に注目が集まり、そうした企業にかなりの資金が提供された(投資だけでなく融資もかなりの金額に上った)ことは事実である。

しかし、それらの未公開会社が果たしてベンチャーと呼べる企業であったかとなると大いに疑問がある。その多くは創業後かなりの時間が経ち、確かに成長性はある程度認められるものの、組織的に既に出来上がった企業で、ベンチャーというよりも、日本でのベンチャー登場の10年位前、中村秀一郎氏の実証研究によって存在が認められた中堅企業、要は「大企業にはなっていないが、中小企業の規模を突破して成長している革新的企業群」であったと思われる。

確かに当時の株式市場を見ると、上場の条件が厳しく、実際に市場に上場した企業の創業から株式公開・上場までの平均期間は約30年であった。とすると、通常10年を期限としたVCファンドから投資を行うVCにとっては、資金の回収を考えた場合、創業間近の時期に投資を行うことは難しく、実際当時のVCの投資先企業の投資時点の社歴は、大半が10年以上、中には20~30年という企業も珍しくはなかった。

そうした状態は1999年にマザーズ市場が出来るまで続いた。巷間日本で1990年代までに3回のベンチャー・ブームがあったといわれるが、それは3回の中堅企業投資ブーム、ないしは未公開株投資ブームと言った方が正確であったと思われる。その間、日本でもベンチャーと呼べる企業が生まれなかったわけではないが、創業から早い段階で外部資金を調達するのが難しい環境下では、その大半は経営的に行き詰ったであろうし、生き延びたとしても少なくとも高成長は望めなかったであろう。

 

1990年代後半以降ベンチャー・コミュニティの本格的な幕開け

以上見てきたように、ベンチャーないしはVCという存在が日本に紹介されたのは確かに1970年頃であったが、実態としての日本でのベンチャーないしはVCの活動は、2000年近くまで本格的には見られなかったと言っていい。先に日本最初のVCは1972年に誕生したと述べたが、その時生まれたKED(創業後8年で清算)にしても果たしてVCと呼んでいいのかどうか、疑問視される状態であった。

1999年、東京証券取引所が上場基準の大幅に緩和されたマザーズ市場を設立、翌年大阪証券取引所のジャスダック・ジャパン(現ヘラクレス)が続いた。これらの株式新興市場の開設で企業の上場までの期間は、それまでの30年から10年弱へと大きく短縮された。連れてVCも、創業間もないベンチャーに大きなリスクを覚悟してかなりの金額の投資を行うことが出来るようになった。日本のVCが、真の意味のVCになったわけである。

折からそれまで強い国際競争力を誇り、日本の経済をリードしてきたエレクトロニクスなどの産業・大企業が競争力を弱める中で、次世代を担う新しい産業・事業の開発を新しい企業に期待する動きが強まった。政策的にもベンチャー支援策が中央だけでなく地方でも相次いで打ち出され、ベンチャー創出に資する商法などの改正、規制緩和も進んだ。ようやくベンチャーの本格的な出番が来たわけである。

このように、日本のベンチャー、VCの本格的な活躍の幕開けは、実は1990年代後半と考えられる。そう考えると現状、日本のベンチャー、VCの歴史はまだわずか15年程度に過ぎないことになる。1960年頃からベンチャー、VCの活動が本格化したベンチャー先進国米国と比較すると、現状の日本は米国の1980年代あたりと見ることが出来よう。

1990年代後半本格的に活動が始まった日本のベンチャー、VCの世界は、折からのインターネットの普及に伴うIT産業の拡大に伴い、米国と同様2000年頃に一時ブーム的な様相を呈した。しかし、これまた米国と同様、2001年以降その動きは沈静化して行った。ただ、日本の場合、米国ほど大きな落ち込みを見せることなく次の拡大局面に繋がっていく。

1990年代後半から2000年代半ばにかけて、大企業の採用活動が低迷したことも幸いし、日本でもIT・ネット関連産業を中心に若い起業家がかなり輩出した。彼らはマスコミにも取り上げられ、日本でもようやくベンチャー、起業家の時代が来たかと思わせた。

しかし、その動きは長くは続かなかった。ベンチャーの世界は2006年頃からおかしくなる。大きな原因は、ベンチャーの重なる不祥事、若い起業家の目に余るお行儀の悪さと、それらに伴う投資家の不信感の醸成、マザーズなど新興市場の落込みにあった。そして続く2008年秋のリーマンショックと世界金融危機。これでベンチャー・コミュニティは大きな打撃を受ける。

2007年以降IPO(株式新規公開)企業が激減、つれて資金回収懸念の広がりからVCファンドへの資金流入も途絶え、ベンチャーへのリスクマネー供給は細って行った。近年の日本のベンチャー・コミュニティ、なかでもベンチャー・ファイナンスの領域の最悪期は2009年であった。

とはいえ、ベンチャー活動ないしは創業活動そのものは、引き続き低迷する若者の雇用情勢下において、サーバーの値下がりやクラウドコンピューティングの登場などによるIT系ベンチャーの創業資金の大幅な低下、また、スマートフォンの開発などによる新たなビジネスチャンスの拡大で、一時期多少の落ち込みはあったものの、2010年以降若者を中心に活発な状況が続いている。

従来のベンチャーに比べて少額の資金で立ち上げるリーン・スタートアップスと呼ばれるそれらのベンチャーに対しては、数百万円程度の資金を数多くの社数投資するシード・アクセラレータと称する資金提供者も現れ始めた。こうしてSNSゲームなどの分野で急成長するベンチャーも何社か登場し、IPO社数は2009年の19社を底に増加に転じ、昨年2012年には50社近くまで回復した。


秦 信行

國學院大学
教授

野村総合研究所にて17年間証券アナリスト、インベストメントバンキング業務等に従事する。
1991年JAFCOに出向し、審査部長、海外審査部長を歴任する。
1994年國學院大学に移り、現在同大学教授。
1999年から約2年間スタンフォード大学客員研究員。
日本ベンチャー学会理事であり、日本ベンチャーキャピタル協会設立にも中心的に尽力する。


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